中途半端に賢い人達が共通してもっている特徴と、
中途半端に賢い人と真に賢い人の各種の違いについて解説します。
中途半端に賢い人の、主な5つの特徴
1「自身の賢さ・知識を、ことあるごとにアピールしようとする」
- 難解な言い方や、一般には知られていない専門用語を、わざと多用する
- こちらが聞いてもいないことを、賢さアピールのためにベラベラと話し出す
2「多くの物事に対してただ悲観するばかりで、行動を起こさなくなる」
- ある程度賢いため、物事のリスク・粗(あら)などが見えて、悲観主義におちいりやすくなる
- しかし、賢さの程度が中途半端であるため、「ちゃんと気にするべきこと」と「スルーするべきこと」の線引きができずに、そのせいで行動が起こせなくなる
3「物事や他者を批判・バッシングすることが非常に多い」
- 世の中の物事や他者の粗(あら)を見つけ出して、ことあるごとに批判している
- 「自分は、世の中の問題に気づくことができる賢い人間」「自分は、問題を指摘して改善を訴えることができる高尚な人間」と思いたいという動機が、批判することを起こしている
本項目は、
上記の2「多くの物事に対してただ悲観するばかりで、行動を起こさなくなる」と連動しています。
物事のリスク・粗(あら)などが見えて悲観するという状況から、強い負の感情に支配され、そのイライラ感によって批判・バッシングといったネガティブな行動を起こしやすくなります。
4「言っていることが、薄っぺらい」
- 机上の空論
- ただの一般論(今のこの状況に、綺麗に当てはまるとは限らない)
- どこかで聞きかじったような、断片的な知識情報
- 問題発生に際して上記のリストのようなことを口にするが、たいてい、問題解決には役に立たない
5「問題の解決」とは無関係な行動をとり続ける
- 問題の解決に全然寄与しない、批判・バッシング
- 問題の解決に全然寄与しない、賢さアピールのための発言
- 問題の解決に全然寄与しない、枝葉末節の部分にこだわる言動
- 問題の解決に全然寄与しない、自分の間違いを認めずに延々と自己弁護をする行動
本項目は、
本記事で解説している中途半端に賢い人達の各種の特徴の根底の部分で共通している、「中途半端な賢さ」の本質だと言えます。
賢さが中途半端であるため、問題の解決に直結する行動は取ることができず、問題の解決には寄与しないズレた行動しか取ることができない、と解釈することができます。
「中途半端に賢い人」と「真に賢い人」の、それぞれの違い
「精神的な余裕」における、両者の違い
中途半端に賢い人の場合
精神的な余裕が無く、
その余裕の無さが「自分が賢いことを、わざわざ繰り返しアピールしようとすること」という行動に表れています。
真に賢い人の場合
精神的に余裕があり、
自身の賢さに確固たる自信をもっているため、あえて賢さアピールをする必要が無く、悠然とした態度でいることが多くなります。
「問題の解決に対する態度」における、両者の違い
中途半端に賢い人の場合
本記事の「問題の解決」とは無関係な行動をとり続けるで解説したように、
賢さが不十分なせいで、問題解決に直接寄与する有効な行動を取ることが困難です。
真に賢い人の場合
- 問題解決に直接働く有効な行動を、高確率で取ることができる
- 「黙って、なすべき事をなす」というスタンスであり、無駄に言葉数を増やさない
「人間関係での振る舞い方」における、両者の違い
中途半端に賢い人の場合
自身の賢さアピールのために、
他者との会話において物事をバッシングしたり、相手を見下すような言動が多くなります。
そのため、人間関係においてトラブルが起こりやすくなり、他者から不快に思われることが頻発します。
真に賢い人の場合
- 有能であり余裕があるため、他者に対する態度が柔らかい
- 機転を利かせたジョークで、他者を笑顔にすることができる
- むやみに敵を作らないように、会話における立ち振る舞いを柔軟に変えることができる
- 以上のことにより、人間関係が良好なものになりやすい
「自身の人生の幸不幸の状況」における、両者の違い
中途半端に賢い人の場合
あれこれの知識はあったとしても、
持っている知識を活用するための「知恵」が不足していたり、悲観主義に支配されがちであるため、
自身の人生が不幸な状況になりやすいと言えます。
真に賢い人の場合
知識を活かすための知恵があったり、有能でたいていの問題を解決できるため、
自身の人生が幸福な状況になりやすいと言えます。
本ブログでの、地頭が良い人達の特徴を解説する記事↓も合わせてご覧下さい。
コメント